大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和37年(ネ)1325号 判決

控訴人 千鶴枝こと中村ちづ江

被控訴人 労働保険審査会

訴訟代理人 片山邦宏 外三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が昭和三四年三月一六日付で控訴人に対してした再審請求を棄却する旨の裁決を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上法律上の主張および証拠関係は次に付加する外原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

控訴代理人は、

一、災害補償の規定の根拠は「普通人の注意をもつてしては避けることのできない、企業自体から不可避的に生ずる災害によつて、労働者が災害を受けた場合には、その労働者の労働力を処分して企業から利益を得ている使用者が、それを補償することが公平の観念に適合する」ということにある。この立法趣旨からすれば。「業務上の災害」における「業務」の意味は言葉を厳格に解して「使用者の指揮監督のもとに労務を遂行する行為」に限るべきではなく、一方で「労働契約の内容をなす行為」或は「それに附随する行為」は勿論「担当業務達成上必要な、使用者のための行為」であれば、使用者の指揮特命のあるもののみならず黙示ないし希望的命令のあるもの、黙認、期待するもの、更にはそうでなくても労働者の善意に出でた行為も「業務」と解すべきであり、他方「使用者の指揮監督の下に」おかれていれば、狭義の所定の担当業務と関係はなくとも、たとえば、使用者の福利施設として所属労働者のみに使用させている交通機関或は使用者が利用を強制している交通機関を使用する行為も「業務」と解するのが正当である。けだし右のような場合には、使用者は広くその危険に責任を負うと解するのが立法、の趣旨からいつて妥当だからである。

二、「業務上の災害」には使用者の労働力の支配下におけるそればかりでなく、施設の欠陥から生じた場合も入る(昭和二三年九月二八日基収第二九九七号)。即ち、労働者が使用者の支配領域内に取り込まれている際に生じたものであることを要し、使用者の労務指揮権や生産手段管理権に基づく拘束ないし制約から解放された市民としての私生活面で生じた事故でおつて、始めて業務上の災害から除外されると考えなければならない。それは労働者の生存権の補償を生産手段との結合面上に、又はそれとの関連範囲内において惹起される労働力に加えられた損傷に対する補償とする労働基準法上の災害補償の目的からみて当然である。生産手段を持たない労働者は、雇傭されてそこで労働力を提供し、賃金を得て始めて生活を維持出来ること、又現在ではそのような人達が大半であることは争う余地のない事実である、労働者は使用者によつてその生産手段に組織づけられ、そこで労務を提供する。それは一時間、二時間というパートタイム的なものではなく、一日の主要部分を使用者に拘束され、一日の生活費を得るのである。よつて労働者がいつから労働力の支配を受け、いつそれから解放されるかは、いつから自由な私的生活を奪われ、労働力の組織づけに拘束され、いつから解放され、自由な私的生活に復帰できるかによつて決る。かように考えれば判例、先例も認めているように厳格な「業務」の意味のみにその内容を限らず、一で述べたように拡張されるのである。

三、右のような考え方でその限界を引く時、通勤途上の災害が問題になつて来る。行政解釈は通勤途上の事故は原則として業務外としている。しかしその例外的取扱例も多い。

賃金労働者は出勤時は勿論、帰宅時においても帰宅しくつろぐまでは、拘束性があると考えるべきではないのか。特に監督官庁の目の届かない中小企業において労働条件、労働時間の長いことは世界でも定評があり、又大企業、官公庁(特に現業)においても超過勤務が慢性化している現代の賃金労働者にとつては、終業後はもう帰宅して明日への労働に備え休養し寝るのみである。かように労働者達が職場を離れたからと言つて直ちに自由で私的な生活に復帰出来るとは考えられない。又、特に都会では自宅から職場へ通うのに殺人的な交通地獄の中にある交通機関の利用を強制されている。かように考える場合、労働者の義務履行に必然的に関係する行為は、業務遂行性があるとし、むしろ通勤行為は原則として業務遂行性ありとすべきである。この原則に立つてかかる災害の業務上、外の認定は「事故が当該通勤に付随する性質のものであるかどうか」を判断すればよい。通勤行為が狭義の業務行為それ自体とは別価の行為であるとすれば、帰宅後出勤、休日出勤、出張途上行為も全く差異はない。この点から通勤途上の災害については、「業務上」の解釈を通勤一般に拡大する方向に進むべきである。

四、右のごとき解釈を本件に適用すれば、本件災害は馬そり夫である中村政太郎の「業務上の災害」と解すべきである。

(1)  自宅からトラック土場まで馬そりを操作して往復する行為は労働契約上明示された業務行為である。成程、労働時間についてはつきりとした定めはない。賃金も馬こみで搬出木材の量による出来高払形式がとられている。しかし当地方における馬そり人夫の賃金は、出来高払形式といつていても、A馬そり夫が業者が所有し或は第三者から借りて管理飼育するそり、馬を現場で使用し搬出作業に従事するだけの場合と、B 業者が所有し或は第三者から借りた馬を馬そり夫が自分で管理飼育し、現場へ移送して作業に従事する場合と、C馬そり夫所有のそりと馬を馬そり夫が自宅で管理飼育してそれを駆つて現場までおもむき作業する場合、とは明白にその額が異り、その関係はA<B<Cであり、そしてA、B、Cの各内容は、Aは現場での搬出作業の日当であり、BはA+飼葉料(現物給付の場合もある)+αであり、CはB+βである。又トラック土場からそり、馬を管理飼育している自宅馬小屋までの距離が遠くなると、それを理由に賃金が増額される事実もある。従つて、この場合のαはそり、馬の管理、飼育、現場までの往復移送等に対する手当、βは馬の使用料(損料)としか考えられない。本件の場合馬込みでいくらという賃金額になつていて、どの部分がどれに該当するということは決められていないが、Cに該当する賃金額であるから、明白にそり、馬の管理飼育、現場への往復移送が労務の一部とされ、それに対する報酬が支払われていると解することができる。更に馬そりによる木材搬出の作業遂行のためには、馬および馬そりは欠くことの出来ない労働用具であり、一般に山林中の仕事の場合、労働者も業者も、労働者が自宅から一里も二里も離れた山中の現場へ朝晩通勤して作業に従事することは、時間的にも非能率的で不経済であるから、出来る限り宿舎などの設備が現場附近に設営されるのを希望する。しかしながら本件の如く、馬を労働用具として使用する馬そり夫の場合には全く事情が異なる。馬は生き物であつて、飼育管理が必要であり、特に短期間重労働に使役する際には夜半にも幾度か飼料を与える必要がある。又馬は人に馴れる性質を持つている。寒中に雪中の山林の中に馬を泊め飼育することは設備の関係上事実上極めて困難である等の理由から馬は馬そり夫の所有であることがほとんどで、事業主も馬そり夫が馬持ちであることを雇傭の条件として期待し、仮に事業主が自己或は第三者から借りた馬を馬そり夫に使用させる場合でも、通常馬そり夫に飼育管理をゆだね、山中の現場附近に宿泊設備、馬小屋などを設けない。寒中でない季節で、大規模或は深山の伐採の場合等に極まれに設営されるのみである。従つて馬およびそりの収容場所である自宅馬小屋からそれを駆つて作業地へ往復することによつてはじめて木材搬出が可能となるのであつて、往復の行為は作業と不可分の関係にある。そして馬やそりは、単なる作業用具と異なり、その取扱いに非常な危険が伴う。即ち、馬は意思をもつた動物であり、付けられるそりは極めて粗末であるため、現場で作業中であれ、往復途上であれ、又そりに木材を積載している場合と空そりの場合であるとを問わず、危険が大きい。特に馬は帰路には疲労と空腹のため自分の馬小屋に帰ることをあせり、又友馬に遅れることをきらい、先を急ぐ習性から搬出作業を終えた帰り路は非常に危険である。この危険は該地方の自然条件-標高一〇〇〇米以上の木曽御嶽山麓の高原地、冬季特に二月は気温が零下一〇-二〇度に及び吹雪が吹きすさび道路は積雪が氷と化し、すべりやすく、又車のわだちを深く固く刻む-の下で一層大きい。これらのため馬そりを扱つている間いとにかく所定の馬小屋まで格納してからということで他の用事など出来ず、全然解放感がなく拘束されている。従つて又、近代産業の労働者は、労働用具が事業場内の職場に収納されているので、事業場への往復途上は労働用具から完全に解放された自由の身であるが、馬そり人夫は朝自宅から出発し夕方自宅へ帰るまで、作業着、巻ききやはん、地下足袋或は長靴を着用し、完全な作業体制をとつている。使用者の指揮監督についても、もともと伐採木材現場で搬出する間においても、使用者の具体的な指揮監督は他の業種に比し大層薄い。この種の事業における指揮監督の方法は使用者の現場係員が立木の伐採計画に基づいて人夫に一定期間内に一定量の伐採木材の搬出を手配し、それを総括的に監督するというのみで、個別的、具体的な就労状況の指揮監督干渉をするものではない。このような実態に前述労働契約の内容、往復途上の不可分性、危険性、拘束性などを合せ考えれば馬そり夫の馬そりを操作しての往復途上は自由で使用者の干渉がないのではなく、広く使用者の指揮監督下にある、と解すべきである。

以上の通りで、本件労働契約は遅れた山林労働関係であるため、一見労働時間、賃金など、判然区別されていないようであるが、仔細に検討し、諸般の事情を総合して考察すれば、中村政太郎の業務は馬そり人夫として自宅馬小屋でそり馬を管理飼育し、そこからトラック土場まで伐採材木を搬出し、又馬小屋まで馬そりを操作して帰るという作業であり、このことは本件雇傭契約上明示されていると解すべきである。労働基準監督署が本件災害に対する判断をなす過程で「事業主所有の労働用具具、又は他の労働用具を事業主が借りて労働者に使わせる時は、当然その格納場所に納めるまでは業務行為である。これは事業主の特命行為とみるからである」とするが、この考え方は馬の所有者の形式にとらわれ労働契約の実態に目を向けない誤つた考えである。

(2)  仮に自宅からトラック土場まで馬そりを操作して往復する行為が労働契約上明示された業務行為でないとしても、(1) 記載の事実を総合すれば労働慣行により業務行為とされていると解すべきで、かかる考え方は社会常識になつていたものとみるのが相当である。ただそれが業者が補償していること、役所仕事の繁雑さから労働者災害補償保険法の適用という問題にしなかつたため明確に同法上の法律的構成をとつて認識されなかつたというだけである。それであるからこそ本件では「業務上」との認定を要求して村を挙げて立ち上つたのである。

(3)  仮にそうでないとしても使用者と馬そり人夫との暗黙の合意により業務行為と解されていると解すべきである。

(4)  仮に本件災害が狭義の業務行為に原因するものといえないとしても自宅から現場まで馬そりを操作しての往復は馬そり人夫の職務達成の必要上、使用者のためにする善意の行為であつて、広義の業務といいうるから業務上の災害に含まれると解すべきである。

(5)  仮にそうでないとしても、馬そりの収容場所から馬そりを駆つて作業地へ往復することによつてはじめて木材搬出作業が行われるのであるから、この往復は作業と不可分の関係にあり、業務追行の延長とみるべきであり、本件災害は業務上の災害に含まれると解すべきである。

(6)  使用者の労働力の支配の及ばない場合でも施設管理の不備により災害が生じた場合は業務上と扱われている。近代賃金労働においては、生産手段はすべは使用者に属しており、労働者は唯、彼の身体を職場に運べばよい。本件では山間地の原始的労働であるため又馬という特に馴れた人以外は操作不可能という労働用具が不可避である、という二点の理由により通勤途上の馬そりの操作が必然的になつている。最近は山間地の集材も機械化が進み、ほとんどワイヤーによる集材に替り、馬そりによるものは御岳山系にあつても、現在はずつと減つて本件開田村の一部に存するのみである。近代化した集材の事業場であれば、労働者は危険を犯してまでも馬そりで自宅から往来しなくても良い。これだけ生産手段の不備から労働者に負担をかけていることになる。又馬と人が切り離せないとしても、事業所の近くに完備した宿舎を設け人馬ともそこに宿泊させれば、又本件の如き災害を免れるはずである。しかるに事業場の近くに完備した宿泊所を設営するには、多額の資金がかかること、又近くに農耕馬を持つていて、冬馬を遊ばせている労働者が存在することを幸として、このような労働形態が採られているとすれば、労働用具の管理運搬を全く労働者に押し付けていることになる。このように、本件のような季節労働者の存在を前提として設備を近代化せず、労働用具の調達、管理、運搬を労働者に負担させているとすれば、使用者の施設の不備に該当し従つて、本件災害は「業務上の災害」に該当する。

五、労働者災害補償保険法を適用し業務上の災害に該当するかどうかを判断するに当つては、具体的事情について具体的に判断し法の精神を生かし、労働者を救済するように図らねばならない。遅れた労働関係の中でもし明確な法形或式は労働慣行がないとするならば、進んで具体的な労者条件、労働環境に応じた新しい認定、解釈が打ち立てられてこそしかるべきである。本件の如き事案を狭義の「業務上」所定の作業場で所定の作業時間中に所定の作業追行という通常の三要件の観念に支配されて考察することは形式的空論であり、労働者保護法である労働者災害補償保険法は開田村における馬そり夫については死文化するも同然ということになるであろう。

と述べ、証拠として、当審証人吉田勘十、同伊原龍一、同伊藤正起、同山下千一の各証言を援用した。

被控訴代理人は

一、一般に業務上の災害とは、労働者が業務遂行中に、かつ、業務に起因とて生じた災害をいうもの、と解されている。そして、右にいう業務遂行中とは、労働者が本来の業務に従事している場合は勿論のこと、業務に従事していなくとも、なお使用者が指揮監督をなしうる余地があり、その限りで使用者の支配下にある場合も含むものと解するのが通説的な見解である。労働者の通勤途上は通常使用者の支配下にあるものといえないから、通勤途上の災害は原則として業務上の災害とはいえない。けれども、同じく通勤途上の災害といつても、労働者が使用者の支配下にあるものと認められる特別の事情がある場合は、業務遂行中として取扱い、更にその間生じた災害に関して、それが業務に起因して生じた災害であるか否かを検討して、業務上の災害であるか、どうかを決定すべきものである。

二、控訴人主張の四に対する答弁。

(1)  の主張について。控訴人主張のA、Bの型の馬そり夫が開田村に存在することは極めて疑わしい。開田村の馬そり夫は専らCである。このようにA、Bの型の馬そり夫の存在が疑わしい以上、A、B、Cの各場合について賃金内容を分析することは無意味であつて、それを前提とする業務上の災害である旨の主張は失当である。仮に控訴人主張のように、馬そり夫にA、B、Cの区別が存在するとしても、控訴人の主張は失当である。控訴人の主張は一見巧妙にみえるが、実はその前提において大きな誤りを犯している。即ち、控訴人はA、B、Cの各場合に馬そり夫が受取る賃金が、すべて使用者のための労働の対価であることを当然の前提としているけれども、B、Cの賃金のうちには使用者のための労働の対価の部分とそうでない部分とが込みになつているのである。なるほど、Aの場合の賃金はすべて使用者のための労働の対価である。ところが、Bの場合の賃金のうちAの賃金に相当する部分は使用者のための労働の対価といえるが、それ以外の部分、即ち飼葉料+αの部分は木材業者と馬そり夫との間のそり、馬を管理、飼育することを目的とした準委任契約の対価であつて労働の対価ではない。従つて、Bの場合、自宅よりトラック土場まで馬そりを操作して往復する行為は労働契約上明示された業務行為とはいえない。次にCの場合についていえば、馬そり夫が自己所有のそり、馬という作業用具を用いて作業現場で木材搬出に従事する期間は使用者のため労務を提供するものであるから、Cの賃金のうちAの賃金に相当する部分は使用者のための労働の対価といえる。ただ控訴人は馬そり夫がそり、馬を作業に用いる関係を使用者との間にそり、馬の賃貸借関係があるものと主張しているが、その当否は疑問である。馬そり夫にはそり馬を使用者に賃貸する意思はおそらくあるまい。その法的性質はともかくとして、馬そり夫は作業現場を離れると、もはや使用者のためではなく、自分のためにそり、馬を管理飼育するのである。自宅より作業現場までそり、馬を移送するのも、自宅にあつてそりを修理したり、格納するのも、あるいは馬に飼葉を与え、手入れをするのもすべて馬そり夫自身のためやるのであつて、使用者のためにやるのではない。このように作業現場以外では馬そり夫は使用者のため労務を提供するという関係はないのであるから、Cの賃金のうちAの賃金に相当する部分を除いた部分、即ち飼葉料+α+βに相当する部分は使用者に対する労働の対価とはいい得ない。それでは、使用者は飼落料+α+βに相当する部分をいかなる趣旨で馬そり夫に支払つたと考えるべきであろうか。右部分はそり、馬自体の損料の外にそり、馬の管理飼育に必要な各種手間料、経費を含んでいる。そり、馬という作業道具はそのような管理、飼育のため必要な手間、経費をかけて、はじめて本来の効用を発揮することができるものである。それで、飼落料+α+βに相当する部分は馬そり夫がそり、馬という作業道具を作業に提供したことに対する補償として支払つたものと考えるべきであろう。このように、Cの賃金のうち、自宅よりトラック土場まで馬そりを操作して往復する行為に対応する部分(αの一部分)は、使用者のための労働の対価ではない。従つて、Cの場合、自宅よりトラック土場まで馬そりを操作して往復する行為が労働契約上明示された業務行為である、との控訴人の主張は失当である。

控訴人は又、前記賃金形態と馬そりを操作しての往復が作業と不可分の関係にあること、往復の危険性、往復途上における馬そり夫の拘束感、使用者の指揮監督の実態等を総合すると、自宅よりトラック土場まで馬そりを操作して往復する行為が労働契約上明示された業務である、と主張するようであるが、仮に、そのような事実があるとしても、そのことによつて、当然労働契約上明示された業務であるとすることはできない。

(2)  の主張について。控訴人は、中村政太郎が自宅よりトラック土場まで馬そりを操作して往復する行為は労働慣行により業務行為とされていたと主張している。けれども、そのような労働慣行は存在しないから、控訴人の主張は理由がない。

(3)  の主張について。控訴人は使用者と馬そり夫との暗黙の合意により業務行為と解されていた、と主張するが、そのような合意は存在しなかつた。

(4)  の主張について。控訴人は中村政太郎が自宅よりトラック土場まで馬そりを操作しての往復は使用者のためにする善意の行為である、と主張しているが(善意の行為であれば当然に業務遂行中という前提には賛成できないが)、それは馬そり夫が自身のため行うものであつて、使用者のために行うもの、とはいえないので失当である。

(5)  の主張について。業務上の災害の意義は前述のとおりであつて、控訴人の主張は理由がない。

(6)  の主張について。控訴人の主張は行政解釈の誤解に基づくもので失当である。なお付言すれば、中村政太郎の労働の場合については、使用者に労働者の宿泊所を設けたり、労働用具を調達、管理すべき義務があるとは到底いえないから、使用者が労働者の宿泊所を設けず、作業用具の調達、管理、運搬を労働に負担させたことをもつて、使用者の施設の不備ということはできない。

と述べ、証拠として、当審証人森田幸太郎、同小林金之助の各証言を援用した。

理由

当裁判所の判断は次のとおり訂正付加する外原判決理由と同一であるから、ここにこれを引用する。

一、 原判決九枚目(記録四六七丁)裏三行目に「………と述べているが」以下五行目までを次のとおり訂正する。

「原審および当審証人伊原龍一の証言によれば、右馬の骨折は伊原龍一の雇つた労働者所有の馬について生じたものであるが寸右骨折の生じたのは材木運搬中に生じたものであることが認められるのであつて、原審証人伊藤正起の右証言は信用できない。」

二、当審証人山下千一は、中村政太郎の居村において、馬方が作業終了後習日の作業現場を調べていたところ、そりについていた鉄板が馬に当り、そのため一日労働を休んだときに木材業者が休業補償をしたことがあり、又材木運搬に従事していた労働者所有の牛が作業からの帰途自ら暴れて足を折つたときに、雇主の業者がその牛を買取り新しい牛を労働者に買与えたことがある、と証言するが、その補償が業務上の事由による災害に対すみものとしてなされたものか、どうか右証言によつても明らかでないので、中村政太郎の本件災害を業務上の災害と認めるに足る特別事情を認定する証拠とはならない。

三、控訴人は中村政太郎が馬そりを操作して自宅からトラック土場まで往復する行為は労働契約上明示された業務行為又は労働慣行により業務行為とされている行為もしくは使用者と中村政太郎の暗黙の合意により業務行為とされていた、と主張するが、興国林材株式会社と中村政太郎間の労働契約の内容は原判決認定のとおりであつて、その外に自宅からトラック土場までの往復行為を業務行為とするか否かについて何等の取極めは勿論、馬およびそりについて中村政太郎がこれを興国林材株式会社に賃貸する旨の契約の存在したことを認めうる証拠は全く存在しない。又興国林材株式会社と中村政太郎間の労働契約における賃金の取極めは石当り一五〇円というだけで、その他に何等の取極めもなされていないのであるから、前記往復行為を労働契約上明示された業務行為ということはできない。控訴人は中村政太郎の賃金を分析し、その中には馬およびそりの管理、飼育、現場までの往復移送に対する手当、馬の使用料(損料)が含まれている、と主張するが、右認定の賃金のうちいずれの部分が純粋の労賃、どの部分が馬やそりの管理等の手理、どの部分が馬の使用料と明示して契約された証拠はないし、中村政太郎の賃金は同人が実際に木材搬出の作業に従事し、その実績に基づいて定められたものであることは原判決認定のとおりであつて、自宅からトラック土場までの往復行為や馬の管理飼育まで、興国林材に対する労務の一部として、その報酬を含めて賃金を定めたものとは到底考えられない。従つて控訴人の右主張は理由がない。又当審証人吉田勘十、同伊原龍一、同伊藤正起の証言によれば、馬が控訴人主張のような性質を有していること、馬そりによる自宅からトラック土場までの往復に或る程度の危険が伴うこと、従つて馬そり夫は馬を馬小屋に格納するまで緊張を必要とし、解放感がないこと、木材搬出作業については出来高賃金である関係で、業者は労働者の勤怠についてあまり監督を必要とせず、就労状況についてあまり具体的、個別的な指揮監督をしないことは認められるが、かかる事実があるからといつて、自宅からトラック土場までの往復行為が労働契約上業務行為として明示されている、とは到底いい得ない。又控訴人主張のような労働慣行や暗黙の合意を認めるに足る証拠はない。当審証人吉田勘十、同伊原龍一、同伊藤正起、同山下千一はいずれも馬そりによる自宅からトラック土場までの往復行為は業務行為に含まれると考える、と証言するが、右各証言および当審証人森田幸太郎同小林金之助の各証言によれば、本件災害発生までは右往復行為が業務行為か、どうか、が問題として労働者や木材業者の意識に上つたことのないことが認められるのであるから、右証人吉田勘十らの証言は本件災害発生後に右証人らが考えた意見に過ぎず、控訴人主張の労働慣行又は暗黙の合意を認める証拠とはならない。

四、更に控訴人はトラック土場までの往復行為は馬そり人夫が使用者のためにした善意の行為であつて、広義の業務といいうるとか、木材搬出と不可分の関係にあり、業務追行の延長とみるべきであるとか、主張するが、いずれも控訴人独自の見解であつて採用できない。又控訴人は本件災害は使用者の設備の不備から生じたものであるから、業務上の災害に該当する、と主張するが、本件労働契約は既に認定したとおりであつて、使用者に労働者の宿泊所を設けたり、馬、そり等の労働用具を調達管理すべき義務があるとは認められないから、控訴人の右主張も理由がない。

五、これを要するに、通勤途上の災害を原則として業務上の災害とする見解を採らない限り、本件災害を業務上の災害と解することは不可能というべきところ、かかる見解はいまだ当裁判所として採用することはできない。してみると、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三八四条に則り、本件控訴を棄却し、控訴費用の負担につき同法第九五条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 牛山要 岡松行雄 今村三郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例